所有や支配に執着しない方がうまくいく。場合もある!

13世紀初頭、アジアを中心に世界の大部分を支配したモンゴル帝国。

モンゴルに住む遊牧騎馬民族は、元々戦闘能力が高かったが、一つ一つの部族が小さく国家としては弱かった。それを1つの国家に束ねたのが歴史でも習ったチンギス・ハーンその人である。

モンゴル帝国が大きな国家に成長できたのは、占領地に対する穏やかな政策だった。

モンゴル帝国は土地に執着しないからうまく行った

モンゴルの遊牧騎馬民族は農耕をほとんど行わず、土地への執着がなかった。

占領された国家や街は、税さえ払えば以前と変わらぬ生活を送れたのだ。

さらにモンゴル帝国は西洋や中国と比べて文化的に遅れていることも自覚していた。そのため自分たちの文化や行政機構を押し付けるのではなく、逆に取り入れていったのだ。

結果的にモンゴル帝国は各地の文化を取り入れて、ユーラシア大陸の文化を発展させた。

東方見聞録で有名なマルコ・ポーロはイタリアから中国までのユーラシア大陸横断を果たせたのも、モンゴル帝国の支配が穏やかで占領地が平和だった証拠である。

ただし、反発する集落や国には徹底的な弾圧を仕掛けた。

宗教にも執着しなかった

当時のユーラシア大陸はイスラム教とキリスト教の宗教対立が激しかった。

しかしモンゴル帝国は宗教にも関心を示さず。占領地に改宗を迫ることもなかった。

そのため占領される側も宗教的には支配されないという安心感があった。

むしろモンゴル帝国はイスラム系の官僚や商人を積極的に利用し、巨大な貿易網を作った。

このこともモンゴル帝国が強大な力を持った一因だろう。

ただし、チンギス・ハーン、フビライ・ハーンの死後、求心力を失い国家は分裂。

国家としてのシステムが出来上がる前に求心力を失ったモンゴル帝国はそのまま崩壊してしまった。

争いの元は執着である

人間には古代、文明がまだできる前の原始的な時代でさえも執着心はあった。

一つの群れで狩りをするとき、全員の協力は必須だ。

もし猛獣に恐れを抱いて逃げ出した個体は爪弾きにされ、分前にありつけなくなった。

群れの役に立たない個体(エサだけ食べる怠け者)は、群れから追い出されるか集団で石を打ち付けられた。

一方、チンパンジーは狩りの途中で逃げ出した個体にも餌を分け与える。

さらに見学していた者にまで分け前を渡すのだ。

人間以外のほとんどは怠け者と協力者を区別しない。

要するに、人間は自分たちの群れを強く、より豊かにするために怠け者や敵を排除する。土地や食べ物に執着するのだ。

その執着は農耕が始まってさらに強まっていく。

お金の流れでわかる世界の歴史 富、経済、権力……はこう「動いた」第3章より

農耕と執着

狩猟採集は毎日安定して食事にありつけるわけではない。

狩りに失敗する日が続くこともある。

農耕によってより大きな集団を安定的に食べさせることができると考えた人類は、今までの狩猟採集生活を捨てた。

しかし、農耕には土地が必要だ。

よりよい作物を育てるには、良い土壌、そして水源が必要になる。

そして作物ができるまでその場に留める。より快適な住居を構える。

人は土地に執着するようになった。川が通っていて、土壌が豊かな土地を求めた。

その過程で別の集団と争うことも増えてきた。

狩猟採集民の場合、より強い集団に襲われればその土地を出ていけばよかった。だが、農耕社会になり、財産や農作物を溜め込み、豊かな土地を見つけた集団は簡単には立ち退けない。

戦わざるを得なかった。いわゆる”戦争”というものだ。

ライバル(Rival)という言葉も川(River)から来ている。

結局、土地に執着のないモンゴル帝国のような民族が争いを避けて豊かで強い国になっていったのだ。

ギバー(与える人)が成功する

目先の利益にとらわれず、むしろ見返りなど求めずに行動した方が長期的に利益を運んでくれる。

他人から何かを奪う人(時間や技術)は短期的には成功するかもしれないが、長期的に見ると仲間に恵まれず大成できない。

自分の利益を二の次にして、集団全体の利益を高めようとする人は、周りに好かれ長い目で見返りをもらいやすい。

自分の利益に執着すると、結局機会を逃したり損をしてしまう。

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